The Society of British Culture

イギリス研究会第26回 「アンナと王様」と「王様と私」を見比べてみて

概要

「アンナと王様」を観た研究会のメンバーが、よしてるの自宅に集まり「王様と私」を鑑賞。その後、感じた意見をメール等でやりとりしたものです。

参加者属性

女性3名・男性3名(20代後半〜30代前半。全員が「アンナと王様」を鑑賞済み)

実施時期

2000年4月

参考

「アンナと王様」「王様と私」登場人物4人の年表

「アンナと王様」と「王様と私」を見比べてみて

どちらがよかったか

(ほぼ全員)「アンナと王様」のほうがよかった。 (「王様と私」は、途中で寝てしまった人が2人いた。)

「王様と私」のよかったところ

・このふたつは別物の映画だ。「王様と私」は、ミュージカルとしてはよくできていると思う。 ・「羽生の宿」を子供に歌わせるシーンは笑えた。 ・アンナ役のデボラ・カーが、ジョディ・フォスターに比べトゲトゲしていなくて好感が持てた。 ・「アンナと王様」は、ラスト間際にエンターテインメント的要素のある場面があったが、蛇足だった。「王様と私」にはそういう場面はなかった。

「王様と私」のよくなかったところ

<アジアを誤解している>
・庭園や部屋の描写に日本や中国との混同が見られる。兼六園のような光景もあった。ここはタイのはずなのに。
・どうみてもアジア人ではない俳優がアジア人を演じている。王様はロシア系のユル・ブリンナーだし、バラット(貢物にされた女性の恋人)はプエルトリコ系に見える。「白人から見て異邦人」という点さえクリアすればよかったという時代なのかもしれない。

<アジアを蔑視している>
・王様が間抜けに見える。明治維新より前に国の近代化をすすめるくらい賢明な人のはずなのに、とても子供っぽく描かれている。「エトセトラ、エトセトラ」はないだろう。
・タイで上映禁止になっているのも頷ける。

<舞台>
・オール室内撮影っぽい。屋外ロケを多用した「アンナと王様」とはスケール感で見劣りがする。(もともとミュージカルだから、あえてオール室内にしたのではないか)

<総評>
・公開当時(1956年)は、アジアに対する認識はこんなものだったかもしれない。
・アカデミー賞にノミネートされたのが信じられない。

以上、「王様と私」の酷評といっていい内容になってしまいました。
でも、よしとも氏の別メールにもあるように、「王様と私」をミュージカルとして見てみると、また違った評価ができるようです。
今回の意見は、普段ミュージカルを見なれていない人のものとしてご理解ください。(よしてる)

(2)ミュージカルとして観た「王様と私」 (よしとも)

研究会のみなさん

どうも遅れ馳せながらこの間はお疲れ様でした。
よしてる氏にはご招待どうもありがとう。

さてさて「王様と私」と「アンナと王様」の見比べはどうにも新しい「アンナと王様」が優勢ということで終わりましたが、なかなかそうとも言い切れないものはあると思います。同じ題材をもとにした映画とはいえこの二作はまったく別ジャンルのものでしょう。

ミュージカル好きのワタクシに一言言わせてもらえれば、「王様と私」は大変優れた作品だと思います(この際、歴史的・地理的錯誤は横において置きましょう)。何よりもユル・ブリンナーのリズミカルな動きは、デボラ・カーの優雅な動きと対照的で、見ていて心地よいものでした。「アンナと王様」ではどちらかと言えばジョディ・フォスターが動きっぱなしで、チョウ・ユンファがゆったりしていたように思えましたから、このあたりも作成年代を反映しているような気もします。エトセトラの連発もセリフにリズムをつけるミュージカルならではの演出の一つでしょう。

日本において、さらに最近では欧米でもミュージカル映画というものはほとんど受けなくなってきているようです。「エビータ」のヒットが記憶にあたらしいくらいですが、現役のシンガーを出さねばならぬほどミュージカル俳優というものは育っていないようです。ジュリー・アンドリュースのような女優が出てくることはもうないのかもしれません。こういう映画の需要はもうないのでしょうか。

一方で舞台はといえばミュージカルの1人勝ちの感があります。ブロードウェイ、ウェスト・エンドを始め、日本でさえ四季のミュージカルは大抵満席になっています。これはなぜなのでしょうか?

どうもミュージカルというものは「作品」と捉えられるよりも「パフォーマンス」と捉える傾向にあるようです。無論これは正しい認識なのですが、これでは一部ファンのためにしかミュージカルは存在しません。舞台が映画と大差ない料金で見られるイギリスなどではミュージカルは一般的娯楽ですが、馬鹿高い料金をとる日本ではまさに一部「ハイソ」な人のためって感じがあります。ミュージカルをもっと身近にできるよう、ミュージカル映画の復活を望みます。

ちなみに昨年封切りになった「リトル・ヴォイス」というイギリス映画はこれも舞台作品の映画化なのですが、舞台で主演のジェイン・ホロックスがそのまま映画に主演して、作中見事なパフォーマンスを見せています(そのシーンだけは一発取りしたという)。この映画はミュージカルと名打たれていたわけではありませんが、立派なミュージカル作品だと思います。こういう作品から音楽をうまくとりこんだ映画が広まっていけばうれしいな。

と、帰ってから思ったよしともでした。

(3)もういちど「アンナと王様」(かつみ)

イギリス研究会の皆さん、こんにちは。

さてさて「王様と私」と「アンナと王様」の見比べはどうにも新しい「アンナと王様」が優勢ということで終わりましたが、なかなかそうとも言い切れないものはあると思います。同じ題材をもとにした映画とはいえこの二作はまったく別ジャンルのものでしょう。

確かに、それぞれ同じ題材とは言え内容は全く別物ですから、別の映画としてみるのがよいのでしょうね。そうはいっても、ミュージカルものをあまり見ない僕としては、あるいはそれほど好みではないからミュージカルを見ないのかもしれませんが、とにかくあまり見ない僕としてはやはり「アンナと王様」がよかったです。これは別に「王様と私」が良くなかったと言っているのではなく、単に「アンナと王様」が良かったと言っているだけです。

前のメールにも書いたように「アンナと王様」をもう一度みたいなあと思っていたら、4月28日に地元のひたちなか市文化会館というところで一日だけの上映会があるというのを知りました。なんてタイミングが良いのでしょう。連休前ですが、会社帰りの時間にも上映するので、見に行く予定です。

先週の日曜に見たタイシルクショーも、初めてみたモードショーでしたが、みんな素敵な服ばかりでした。モデルの人が舞台の上を歩くのを生で見るというのもなかなかのものでした。会場には森英恵も姿を見せていました。インターネットで見た人はいますか?

ミュージカルの話に戻りますが、僕のミュージカルの体験といえば、ロンドンで見たBuddyという舞台です。ロックミュージシャンの生涯を描く作品ですから、突然歌いだすという雰囲気ではなく、必然的に音楽が出てくるのですが、その料金はとても気軽でしたね。見に行くものとして、映画か舞台かが同列の選択肢になりますね。

でもまあ僕の場合はときどき舞台作品も見に行きますが、演劇は演劇、音楽は音楽として楽しむのが好きなような気がします。演劇は動作とセリフだけで十分楽しめるので、そこにBGMではなくメインとして音楽が入ると集中できなくなるからでしょうか。

これもよしともさんの言うように優れたミュージカル映画がたくさん出てくれば、僕のこの考え方も変わるのかな?

とりとめのない話でしたが、このへんでまた。

(4)ミュージカル (よしてる)

よしとも殿
よしてるです。

この間はお疲れ様でした。

こちらこそ、遠いところをありがとう。

何よりもユル・ブリンナーのリズミカルな動きは、デボラ・カーの優雅な動きと対照的で、見ていて心地よいものでした。

これは全く気づきませんでした。

エトセトラの連発もセリフにリズムをつけるミュージカルならではの演出の一つでしょう。

これも。なるほどね。

よしとも殿のメールを読んで、「王様と私」が、様々な工夫を凝らした作品だということは理解できました。

たしかに、現代から見て「あれ?」と思う部分は多々あるものの、セットそのものや演技に手抜きはなかったように感じます。

ただ、私は、ミュージカルはあまり楽しめない性質です。もちろん、「ミュージカルは楽しめないものだ」といっているわけではありません。これは私個人の問題で、ミュージカルや演劇などの舞台芸術については、台詞をあまり聞き取れないのです。

ミュージカルなどは、本来台詞が完全に聞き取れなくても楽しめるものでしょう。でも、なぜか聞き取れないと気になってしまいます。損な性質だと思います。

とはいえ、楽しめた作品もあります。

(かつみさんへ)

ミュージカルの話に戻りますが、僕のミュージカルの体験といえば、ロンドンで見たBuddyという舞台です。ロックミュージシャンの生涯を描く作品ですから、突然歌いだすという雰囲気ではなく、必然的に音楽が出てくるのですが、

この"Buddy"という作品がそれで、私は神戸で観ました(バディ役は陣内孝則)が、演劇というよりはライブに近い感覚で観ることができました。
バディ・ホリーの音楽そのものが大好きなので、ヴァーチャル・ライブを経験したような気分になったのです。

音楽だけでも十分楽しめるミュージカルがあれば、また行ってみたいと思います。

(5)RE:もういちど「アンナと王様」 (かつみ)

イギリス研究会の皆さん、こんにちは。

うちの会社は29日から5月7日まで9日間の連休です。そのうち何日間かは休日出勤する予定ですが、それでも連休前日の会社帰りということでリラックスした28日、「アンナと王様」を再度観るチャンスがありましたので、観てきました。

ストーリーが分かっているせいか、1回目に観たときよりもなんとなく感動が薄かった感じがします。1回目よりもジョディ フォスターが目立たず、逆に周潤發は存在感が大きかったです。これは逆に言うと、「王様と私」のユル ブリンナーの王様があまりにも単純で周潤發との格差が大きかった、デボラ カーとジョディ フォスターはどちらも素晴らしかった、と言うことなのかもしれません。本物のイギリス人であるデボラ カーの後に観たジョディ フォスターは、どうしてもイギリス人には見えませんでした。強気なジョディ=アンナは相変わらずでしたが。

アンナと王様の初めての会話で、アンナの年齢について、「アンナと王様」では具体的に「150才」とは答えていませんでしたね。なんとなくさらりと話が進んでしまいました。子供たちを利用した「家が欲しい」攻撃も、「アンナと王様」ではほとんど観られませんでした。この二つは「王様と私」のユーモアに分があると思いました。このあたりがミュージカル的演出なのかな。

「リンカーンと象」や「パーティーの準備」なども「アンナと王様」はそれほど強くは描いていませんでしたね。逆に近隣諸国、ヨーロッパ、国内のさまざまな陰謀については強調しているのが特徴かな。これも一応最後に「王様の危機を救った立派な皇太子」というシーンに持っていくための伏線にしたかったのでしょう。ちょっと無理が感じられましたが。

もしもこの次に再度映画化されるとしたら、本物のタイの俳優が王様になっているのでしょうか?

(6)ユル・ブリナー(O.Uさん)

「王様と私」に関する皆さんの意見楽しく読ませていただいてます。

王様役はユル・ブリナーだったですよね。確か。私が初めてアメリカへ行ったときのことです。十数回のホームステイの中で、ウクライナ出身の姉妹のお宅に泊まったことがあります。彼女たちにとってユル・ブリナーはまさにヒーローでした。なんでも彼はウクライナ出身だそうです。(私の記憶が確かであって欲しいのですが。)あの頃でもすでにユル・ブリナーは役者のピークを過ぎていたと思いますが、それでも英雄のようにとらえられていたことが忘れられません。二人にとってあの映画は普通のアメリカ人とは全く違った意味を持っているのかもしれません。

Copyright © 1997-2009 The Society of British Culture | 2006年8月18日更新 | このサイトについて | お問い合わせ
Valid HTML 4.01!Valid CSS1!