| 2000.4.9 | ||||
| よしてる | ||||
| イギリス研究会 第26回 〜 「アンナと王様」と「王様と私」を見比べてみて 〜 参考資料 4人の年表 | ||||
| ※研究会メンバーによる両作品を見比べてのコメントはこちら | ||||
| 西暦 | Rama IV (Mongkut) | Rama V (Chulalongkorn) |
Anna Harriette Leonowens | Louis Leonowens |
| 1804 | ラーマ2世の43番目の子(正室の長男)として生まれる。 | |||
| 1824 | 20歳。後継者争いに敗れ、出家。 以後、仏教学を学ぶ。宣教師からはラテン語、英語、キリスト教理念、西洋科学および文化、天文学を学ぶ。 |
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| 1834 | インド(「アンナとシャム王」によればウェールズ)に生まれる。父は陸軍兵士、母はインド=イギリスの混血。 | |||
| ? | 父に兵士との結婚を強要されるが、家出。宣教師のもとで勉強した後、経理課員 Thomas Lewis Leonowensと結婚、一女(エイヴィス)一男(Louis)をもうける。 | |||
| 1851 | 47歳。ラーマ4世として即位。 | |||
| 1853 | ラーマ4世の子として生まれる。 | |||
| 1858 | 24歳。夫がシンガポールで病死。その後再婚せず軍付属学校の教師に。 | |||
| 1861 | 57歳。プロテスタント宣教師に依頼し西洋風の学校を設立。 | |||
| 1862〜 |
58歳。Annaを家庭教師として採用。ただしキリスト教布教は禁止。 Annaがコレラにかかった際、「もしものことがあればあなたの息子は王子として育てるので心配するな」とメッセージを送る。 |
9歳。兄弟姉妹・Louisとともに、Annaから教育を受ける。 | 28歳。軍付属学校の生徒の父の紹介でMongkut子弟の家庭教師となる。以後、 ・子弟に熱心な教育を施す。 ・奴隷制度反対を唱え、2度命を狙われる。 ・王女のかかったコレラに自らもかかり、死線をさまよう。 |
Mongkut王の王子・姫と共にAnnaの教育を受ける。 |
| 1867 | 63歳。 | 14歳。 | 33歳。イギリスに帰国。預けていた娘のエイヴィスをつれアメリカへ。 | アイルランドの寄宿舎学校に預けられる。 |
| 1868 | 64歳。Chulalongkornとともに日食観測に出かける。そこでかかったマラリアがもとで死去。 | 15歳。ラーマ5世として即位。摂政をおき、自らは仏門で修行を積む。 | ||
| ? | アイルランドの寄宿舎学校を飛び出し、母のいるアメリカへ | |||
| 1870 | 36歳。”The English Governess at the Siamese Court”発表。話題となる。 | |||
| 1871 | 18歳。植民地支配の実態を把握するため、シンガポール、ジャワ、インド、ビルマを訪問。 | |||
| 1872 | 38歳。”The Romance of the Harem”発表。話題となる。シャムのMongkut王伝記作家によれば、「はなはだしい誇大表現が見受けられる。王を冷酷な君主として描いており、著しく公正さに欠ける。」 以後、文筆と講演で生計を立てる。 |
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| 1873 | 20歳。親政開始。 | |||
| ? | ・オーストラリアに移住し警察官になる。 ・その後シャムに戻り、近衛将校となる。 ・王女(Chulalongkornの妹)と結婚、材木会社を設立、財を成す。 |
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| 1881 | 47歳。雑誌特派員としてロシアでアレクサンドル2世暗殺についての記事を発表。雑誌から専属記者の誘いを断り、エイヴィスと共にカナダに移り住む。 | |||
| ? | ・有能な異母弟ダムロンを内相にすえ、タイの近代化と中央集権的統治の形成につとめる。 ・奴隷制度の廃止、宗教的自由の保証、法律の成文化、財政管理の確立、国民教育制度を創設、郵便制度の整備、鉄道敷設を実施。 |
カナダで婦人参政権運動に尽力。 | ||
| 1897 | 44歳。ヨーロッパ訪問中、ロンドンで偶然Annaに再会。 | 63歳。Chulalongkornとロンドンで偶然再会。 | ||
| 1910 | 57歳で死去。 | |||
| 1914 | 80歳で死去。 | |||
| 参考資料: ・エリザベス・ハンド/石田亭訳「アンナと王様」(竹書房・2000年) ・Encyclopædia Britannica(http://www.britanica.com/) ・マイクロソフト「エンカルタ97」(1997年) ・映画「アンナと王様」パンフレット(2000年) | ||||