イギリス研究会 第18回レジメ
イギリスが世界史に残した爪痕〜イギリスの3枚舌外交

1997年11月9日 よしてる
 
テーマ選定理由:イギリスをより深く理解するためには、様々な角度からの視点が必要
                であり、そのためには従来欠けていたイギリス批判の視点を研究会に
                持ち込むことが必要だと考えたから
 
今回の目的:
・イギリスの、他国の立場を軽視した外交とその結果の重大さを紹介する。
・イギリスの持つ他国へ対して持つ意識(の一例)を知る。
 
■定義
・ユダヤ人 =ユダヤ教徒
       かつてユダヤ教徒だったが、キリスト教等居住地域の習慣等に合わせて
              改宗した人たち
 
・アラブ人 =アラビア語を話す人々
 
・パレスチナ=別添地図参照
 
 
■問題の背景(19世紀後半〜第1次世界大戦)
 
・パレスチナ地域の状況
 エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地
 多数の宗教の混在=オスマントルコによるミッレト制
 オスマントルコの弱体化により、西欧の列強が領土などに注目する
 
・ユダヤ人の状況
 
 シオニズム運動
  パレスチナにユダヤ人の国を建設しようという運動
  第1回シオニスト会議(1897 スイス・バーゼル)
 
 きっかけ
  国際的ナショナリズムの高まり
  ドレフュス事件(1894,ユダヤ教徒出身のフランス軍大尉に対するスパイ容疑のえ
    ん罪事件。当初終身刑、後無罪確定)
 
 ユダヤ人を取り巻く環境
 
  紀元70年以降の民族の世界的分散
  キリスト教徒からの差別意識「ユダヤ人=キリストを殺した民族」
  商工業者からの差別意識
   宗教改革により「勤勉による富の蓄積は罪ではない」
   −>商業分野にキリスト教徒が参入
   −>しかしユダヤ人が既に商業分野でネットワークを持っている
   −>ユダヤ人に対するねたみ
 
■アラビア人の状況
 
 オスマントルコの近代化政策
  −>トルコ人支配の強化
  −>反発(アラブ・ナショナリズム運動)
 
 土地法(1858)により、農民が一定以上耕し続けた土地を私有地として認めることに
  −>貧しい小作農は税を逃れるため偽名登録し、裕福な地主階級はさらに多くの
    土地を手に入れる
  −>地主階級の一部はアラブ民族主義運動の担い手となり、また一部は後にパレ
    スチナに来たユダヤ人に土地を売却する)
 
・イギリスの状況
 スエズ運河の近辺に従属国or友好国を作り、運河の安全を確保したい
  (インドはイギリスの最重要植民地)
 
 メソポタミア北部に発見された油田からのパイプラインの出口を地中海沿岸にほしい
  (イギリス海軍の燃料は石炭から石油に切り替わっていた。また、石油輸送船はド
   イツの潜水艦の攻撃目標になっていた)
 
 フランス勢力に対する対抗
  フランスは、伝統的なアラブ・カトリック教徒の保護者としてパレスチナとの経済
    的つながりをもっていた
 
 
■イギリスの3枚舌外交とは
 
・アラブ人への約束:フサイン・マクマホン書簡
 (1915.7〜1916.1にかけて、メッカの守護職フサインとイギリスの高官マクマホンの
  間でやりとりされた手紙)
 「アラブ人の独立を承認し支持する用意がある」
 目的:アラブ・ナショナリズム運動を利用してオスマントルコを分裂させること
    (そのためのスパイの一人=アラビアのロレンス)
 
・フランスとの約束:サイクス・ピコ協定
 (1916.5までにフランスと成立した秘密協定。ロシア革命時革命政府により世界に暴
   露される)
 [シリア・パレスチナとメソポタミアは、イギリスとフランスが分割して統治する。
   エルサレムを含むパレスチナは、国際管理される。]
 目的:第一次世界大戦後,オスマントルコに勝利した後の「遺産ぶんどり」
 
・ユダヤ人への約束:バルフォア宣言
 (1917.11.2 バルフォア外相からユダヤ人の富豪ロスチャイルドへの手紙を通じイギ
   リスのシオニスト組織へ伝えられる。閣議承認済み)
「パレスチナにユダヤ人のための民族郷土を建設することを好ましいと考える」
 目的:第一次大戦におけるイギリス内外のユダヤ人の協力を得ること
 
(まとめ)
 ・イギリスの約束
  1.東アラブ全体の地域(=A)でのアラブ人王国の建設を約束
  2.A地域の半分(=B)をフランスに任せる
  3.B地域の残りの一部をユダヤ人にわたす
 
 
■三枚舌外交の結果
 ・バルフォア宣言の5日後
  英仏共同宣言[イギリスとフランスの目的はトルコによって抑圧された人々を解放
    すること]
 
 ・1920 サンレモ会議
  イギリス・フランスはパレスチナを統治(国際連盟の委任統治領)
 
 ・1929 嘆きの壁事件
  ユダヤ人側死者133人、アラブ人側死者116人
 
 ・(第1時大戦終了後〜第2時世界大戦終了まで)
  ユダヤ系移民がパレスチナへ大量流入
  イギリスがユダヤ人のパレスチナ移民を制限
  ナチス政権獲得後さらにユダヤ人移民はさらに増大
  ユダヤ人によるパレスチナの土地買い占め(アラブ小作農から),アラブ人商工業
      者の破産−>伝統的アラブ人家族形態の崩壊
  アラブ人の「大反乱」(ゼネスト、イギリス人襲撃など)
  パレスチナ人口の1/3がユダヤ人に
 
 ・1947 国連によるパレスチナ分割決議案
 
 ・1948 イスラエル独立宣言
 
 ・   ユダヤ人ロビイストによるアメリカ政府への圧力
 
 ・   アラブ難民の増加
 
 ・1964 PLO(パレスチナ解放機構)設立
 
 ・1967 第3次中東戦争
     イスラエルの圧勝、アラブ統一国家の可能性失われる
 
 ・1978 イスラエルで反戦グループ「ピース・ナウ」設立
 
 ・1987 インティファーダ(アラブ人による「蜂起」)
 
 ・1988 パレスチナ国家独立宣言
 
 ・1993 パレスチナ暫定自治協定
     PLO「イスラエルが国家として、平和と安全の内に、存在する権利
         を認める」
     イスラエル「PLOをパレスチナ人の代表として認め・・・」
 
 
■参考文献
 奈良本英佑「君はパレスチナを知っているか」(ほるぷ出版)1991
 芝生瑞和「パレスチナ合意 背景・そしてこれから」(岩波書店)1993
 富岡倍雄「パレスチナ問題の歴史と国民国家」(明石書店)1993
 
以上