イギリス研究会 第4回レジメ「アイルランド問題」
1994年1月2日 よしてる
テーマ選定理由:・「血の日曜日事件」を題材にした音楽から (Paul McCartney / Give Ireland Back to the Irish, U2 / Sunday Bloody Sunday, John Lennon / The Luck of the Irish) ・イギリスの主要な外交問題の一つ ・最近(93年12月)報道が相次いでいる 目的:アイルランド問題の起源・歴史・現状の把握 アイルランド問題とは: 北アイルランドにおける、プロテスタント(多数派、裕福)と カトリック(少数派、貧しい)との政治的抗争。カトリック国である アイルランド共和国への帰属をめぐっての論争が絶えず、IRA (Ireland Republican Army)の行うテロで60年代後半から3000人が 死亡。150万の人口に対し、3万以上の兵が警備にあたっている。 問題の起源・歴史: 1C ゲール文化の定着4C 聖パトリックの布教→ケルト教会
11C ケルト教会のローマ教会化(進まず) 1171 ヘンリ2世、アイルランド大守に〔起源〕 16C エリザベス1世の弾圧(国教会強制とスペインへの警戒)→逆にカトリックが根づく
1607 アルスターからオニールとオドネルのローマ逃亡→アルスター植民→プレスビテリアン(プロテスタント)が根づく
〔北アイルランド宗教分布の起源〕 〔*資料1〕 1649 クロムウェル上陸 1690 名誉革命後、ウィリアム3世(イギリス国教会)がジェ−ムス2世 (カトリック)を破り、プロテスタント優位が決定→異教徒刑罰法(参政権剥奪、公務員への就職禁止)
18C 輸出の85%がイギリス向け 1858 IRB(The Irish Republican Brotherhood) 設立 (1916まで地下活動)1885 GAA(アイルランド体育協会)→IRBのもとに
19C 議会(イギリス)でアイルランド自治法案が2度否決 理由:・完全独立を恐れた ・自治能力がないという偏見 アルスターのプロテスタントがカトリックの支配下に おかれるため 1905 シン・フェイン党設立(実力行使を避けるため) 1913 アイルランド義勇軍設立(IRBによる)1916 イースター蜂起→失敗、だが国民感情を刺激
1920 北アイルランド成立(議会を持つ自治体)〔現在の問題の起源〕 地方議会は、地方税納税者のみに選挙権を与え、ゲリマンダリングも 徹底されたため、カトリックには著しく不利だった 1922 アイルランド自由国成立 義勇軍・IRBから起こったIRAは北の分離をめぐって分裂、 現在のIRAはこのとき反自由国にまわったものを源流とする 1937 新憲法制定、イギリス国王への忠誠宣言を廃止、国土は全島と宣言 第2次大戦から中立政策 1968 北アイルランド公民権運動→改革要求派(カトリック)と拒否派(プロテスタント)
→IRAとUDA(アルスター防衛同盟)の争い
1969 Provisional IRA(暫定派)発足 1972 (1月30日)「血の日曜日事件」 ロンドンデリーのカトリック地区ボグサイドで、英軍降下部隊の兵士が 公民権運動のデモに発砲、13名死亡 (3月28日)イギリス、北アイルランドを直接統治以後、英国特殊部隊(SAS)とIRAの抗争続く→IRAの人気低下
1985 英国・アイルランド協定(北アイルランドぬきで) 1987 イギリス世論調査で、選挙民の61%が北アイルランドからの 英軍撤退を支持 1993 (12月15日)英国・アイルランド共同宣言 まとめ:(現状・歴史から起源を探る) ・現在の問題はIRAの凶悪なテロ(英・アイルランド間の敵対心は薄れる) ・IRAはイギリスの圧政に抵抗するために設立された ・イギリスの圧政はプロテスタントを守るためのもの(特に北部で) ・北部にプロテスタントが多いのは、アルスター植民のため ・アルスター植民は、オニールとオドネルの逃亡から ・北部にプロテスタントが多いままになっているのは、1920に北アイルランドを 分離させたから 問題の起源:エリザベス1世時代の弾圧からくるカトリック定着と、 貴族の逃亡・アルスター植民からくる北部のプロテスタント定着 歴史:イギリスによる搾取・弾圧 現状:イギリス・アイルランドの世論は全島統一に近づく 北は富裕なプロテスタントが現状維持のため反対 IRAもテロをくりかえしている 参考文献:青山義信・今井宏編「概説イギリス史」(有斐閣)小野修「アイルランド紛争 民族対立の血と精神」(明石書店)