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ビリー・ジョエル/ハートにファイア(2) 1951-19551951年■"Rosenbergs"「ローゼンバーグ夫妻に死刑判決」 アメリカのユダヤ系夫妻。原爆機密をソ連に流したというスパイの疑いをかけられ、この年の4月5日に死刑判決。1953年に処刑されています。唯一の証拠であった証人の自白も、2001年に証人自ら偽証を認めているなど、無実の可能性が高いと言われており、後ほど登場する「赤狩り」(共産主義者糾弾)の代表的な犠牲者とされています。 ちいさんのサイトに掲載されている、妻エセル・ローゼンバーグが子どもに宛てたメッセージが胸をうちます。 ■"H-Bomb"「アメリカ、水爆実験開始」 水素爆弾。この年の春、アメリカは太平洋のエニウェトク環礁で予備水爆実験を行いました。3年後の54年3月1日には、あのビキニ環礁での実験が行われます。 ■"Sugar Ray"「シュガー・レイ・ロビンソン、ミドル級のチャンピオンに」 ボクシングウェルターおよびミドル級のチャンピオン。そのファイティングスタイルは、後年モハメド・アリをはじめ多くのボクサーに多大な影響を与えたと言われています。この年、ミドル級を制することになったジェイク・ラモッタとの闘いは伝説になっているそうです。 ■"Panmunjom"![]() 「板門店」 朝鮮戦争休戦ラインの上に置かれた会談場所。休戦協定がむすばれたのは1953年7月27日です。1951年には何があったのかな? ここに一般の韓国国民は立ち入ることができませんが、外国人観光客は入ることができます。ちなみに私は94年の7月に行きました。戦争で破壊されたままの橋桁や線路を道中に見ながらたどり着いた板門店は、ものものしい警備がしかれているものの、南を管理する国連軍の実体はアメリカ軍と韓国軍で、フランクな雰囲気もただよっていました。しかし「絶対に走っては行けません。撃たれる可能性があります。」と注意されると身が引き締まったものです。心なしか北朝鮮側の兵士は皆からだが小さいように感じました。 ■"Brando"「マーロン・ブランド、映画『欲望という名の電車』出演」 演劇学校で学んだ後、ブロードウェイでデビュー。この年、映画化された「欲望という名の電車」に出演、話題を集め、スターダムを登り始めました。彼の演じる反抗的な若者のイメージは後述のジェームズ・ディーンにも影響を与えたと言われます。一時期低迷しますが、その後「ゴッドファーザー」で大復活、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞しますが、これを辞退し、代わりにネイティブ・アメリカンの虐待を非難する声明を代理人(ネイティブ・アメリカンの少女)に読ませるなど話題に事欠かない人物です。2004年死去。 ■"The King and I"「ミュージカル『王様と私』初演」 前述の「南太平洋」と同じく、作曲ロジャース・作詞ハマースタインの名コンビによるミュージカル。映画ととしても有名で、ユル・ブリンナー主演で1956年アカデミー賞を受賞しています。 ちなみに、管理人が所属するサークル「イギリス研究会」で、この「王様と私」が話題になりました。 ■"The Catcher in the Rye"「『ライ麦畑でつかまえて』発表」 アメリカの作家J.D.サリンジャーは、この年この作品を発表し、小説家としての地位を確立しました。しかし本人は有名になることを極度に嫌っており、現在に至るまでまったく公の場に姿を現さないことでも有名です。 一般的には、この作品は、思春期の若者達の愛読書と言われていますが、私の身の回りで、これを中学〜高校時代に愛読していたという友人はいません・・・個人的には、主人公ホールデン・コールフィールドのものの考え方は興味深く、小説としても面白いのですが、サリンジャー独特の「世界」(雰囲気)になじむまでには時間がかかりました。 1952年■"Eisenhower"「英雄アイゼンハワー・大統領選に出馬」 第2次世界大戦時、連合国軍最高司令官として活躍、英雄として大変人気があった彼がこの年の大統領選挙で共和党から出馬。その後、対立候補に圧勝してアメリカの第34代大統領に選出されました。在任1953〜61年。 ■"Vaccine"「ジョナス・ソーク博士、最初の小児麻痺のワクチンを開発」 実際に使用されるようになるのは1955年からになりますが、それにより小児麻痺は激減していきます。1952年には58000人いた患者が、1979年にはたった10人になったそうです(いずれもアメリカ国内の数値)。 ■"England's got a new Queen"「エリザベス2世、イギリス女王に即位」 1926年生まれ。第2次世界大戦中は積極的に戦時労働に従事して、国民から敬愛されたそうです。 ■"Marciano"「ロッキー・マルシアノ、ジャージー・ジョー・ウォルコットを13ラウンドでノックアウト」 ロッキー・マルシアノはアメリカのボクシング選手。この年の9月に行われた上記の13ラウンドKO試合は、ボクシング史に残る名試合だそうです。ボクシング史上唯一、不敗のまま引退したヘビー級チャンピオンとのこと。 ■"Liberace"アメリカのエンターテイナー。もともとはクラシック畑の人で、子どものころ有名ピアニスト、パデレフツキにその才能を絶賛されたほど。その後ポピュラーに転向、この頃にテレビに出演番組を持つようになり人気が高まります(このテレビ番組の存在については、K.T.さんに情報をいただきました。ありがとうございました。)。 派手な衣装とステージでも有名ですが、本人もその「悪趣味」には自覚的であったと言われています。1987年、エイズで死去。 ■"Santayana goodbye"「サンタヤーナ死去」 アメリカの哲学者・詩人・小説家。スペイン生まれ。1920年代にアメリカで展開された批判的実在論という思想(どういうものなのかは管理人は全然わかりません)の指導的人物でした。主著は「理性の生命」。アメリカ思想界に大きな影響を与えたそうです。 1953年■"Joseph Stalin"「スターリン死去」 ソ連共産党書記長。靴屋の子として生まれました。「スターリン」は、「鋼鉄の人」を意味する変名で、21歳の頃から使い始めたそうです。粛正による恐怖政治で有名で、身近な側近から一般国民まで膨大な人々を処刑したりシベリア送りにしたりしていますが、その遠因として、若いころの共産主義活動の中で二重スパイなどの仕事をしていたため極度の人間不信に陥っていたとの説もあるようです。 ■"Malenkov"![]() 「マレンコフ、首相に」 ソ連首相。元スターリンの秘書。スターリンの死をうけて首相の座につきました。秘密警察KGB長官を国家反逆罪で追放するなど一時権勢を誇りましたが、最終的にはフルシチョフによって55年2月に首相の地位を追われてしまいます。 ■"Nasser"「エジプト、王制を廃し共和国に」 エジプト大統領。特権階級打倒を掲げ、イギリス人の追放と王制の廃止を呼びかけ、52年にクーデターを起こしました。結果成功し、エジプト国民から絶大な人気を獲得します。 ■"Prokofiev"「プロコフィエフ死去」 ソ連の作曲家。「ピーターと狼」で有名です。共産党から「目にあまる形式主義者」の烙印をおされた後、自己批判をさせられるなど、高い評価の割には様々な迫害を受けていたようです。 ■"Rockfeller"「ネルソン・ロックフェラー、政界の中枢へ」 大富豪ロックフェラーの一族は、この頃社会の様々な分野の要職についています。 例えばこのネルソン・A.ロックフェラーは、この年厚生教育次官に任命され、その他外交問題顧問にもなるなど、アイゼンハワー大統領の側近となります。1955年のアイゼンハワー・フルシチョフ会談でも主要な役割を担ったそうです。その後ニューヨーク州知事も経験、大統領をも目指しましたがそれはかなわず、1974年にフォード大統領の副大統領に就任。美術品の収集や多くの寄付・寄贈でも有名。 その他の「一族」の経歴としては、ネルソンの実弟デイビッド・ロックフェラーはチェース・マンハッタン銀行CEOに、甥のジョン・ロックフェラー4世は上院議員、ウィンスロップはアーカンソー州副知事。息子のマイケルは人類学者でしたが、ニューギニアで行方不明になっています。 ■"Campanella"「カンパネラ、2度目のMVP獲得」 ブルックリン・ドジャースの名捕手、ロイ・カンパネラ。MVPを通算3回獲得していますが、捕手でこの回数というのはきわめて珍しいそうです。当然殿堂入りしており、背番号39は永久欠番になっています。 ところでこの歌、野球選手がよく出てきますね。ビリーはやはり野球好きなんでしょうね。 ■"Communist Bloc"「冷戦時代」 当時、西側は共産圏のことをそう呼んでいたそうです。冷戦まっただ中、という感じでしょうか。 1954年■"Roy Cohn"「赤狩り検察官ロイ・コーン、弁護士に転身」 検察官として、マッカーシーの右腕として共産主義者の告発・糾弾の急先鋒として実績を挙げていたロイ・コーン。前述のローゼンバーグ事件でも、被告人(妻のほう)の弟から証言(後に証人が偽証と認める)を引き出し、コーン家旧知の判事を送り込み死刑判決を導き出します。 そのように「活躍」していたコーンですが、この年、マッカーシーが失脚すると弁護士に転身。その後も有力な顧客を持ちニクソンやレーガンの非公式アドバイザーになるなどの力を持ち続けます。1986年、顧客の資産横領などで法曹資格を剥奪された直後、エイズで死去。 ■"Juan Peron"「アルゼンチン、経済危機に」 アルゼンチン大統領。在任1946〜55、73〜74年。 1946年、圧倒的な支持で大統領に選出され、労働者寄りの民族主義的政策を推進していきますが、数年後経済危機や労働不安が増大、1955年、軍部によるクーデターで失脚。亡命生活を続けますが、1973年帰国、再選。しかし高齢と病気のため1年後に死去します。 2番目の妻エバは、マドンナが映画で演じて話題になった「エビータ」で、国民から絶大な人気を得ていました。また、慈善団体エバ・ペロン財団の活動などで非公式ながら政府の重要なメンバーとなっていました。 ■"Toscanini"「トスカニーニ、ニューヨークフィル演奏中に倒れる」 今世紀の大指揮者の一人。19歳の時、代役で指揮したヴェルディ「アイーダ」が絶賛され、21歳でイタリアを代表する歌劇場、ミラノ・スカラ座の首席指揮者に就任。37年からは彼のために創設されたNBC交響楽団の指揮者となり、数々の録音を残しました。57年1月16日、ニューヨークで死去しました(この年に彼が倒れた件については、K.Tさんから情報をいただきました。ありがとうございました。)。(2004.4.15) ■"Dacron"合成繊維「ダクロン」デュポン社にて開発される。 この頃、合成繊維が急速に世の中に普及していったようです。そんな新素材のひとつの例としてダクロンが挙げられたのでしょう。この繊維は吸汗性と水分蒸発性に優れているため、現在でも下着やふとんなどに広く用いられているようです。 ■"Dien Bien Phu Falls"「ディエンビエンフー陥落」 ベトナム北西部、ラオスとの国境近くにある町。ここでベトナム人民軍はフランス軍に対し、54年3月から攻撃を開始し、55日間におよぶ激戦ののち、5月7日に陥落。フランスはインドシナにおける支配を放棄しました。この後休戦協定がむすばれたものの、ベトナムは南北に分断されてしまいます。さらにこの協定に調印しなかったアメリカが南ベトナムの政府を支援するようになり、これが後の「ベトナム戦争」につながっていくのです。 ■"Rock Around The Clock"「ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ、デッカ・レコードと契約」 ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの"Rock Around The Clock"は、1955年に全米・全英No.1を記録しているヒット曲ですが、そのチャートでの記録以上に、ロックの創生期を代表する曲として有名です。 1955年■"Einstein"「アインシュタイン死去」 相対性理論や光量子仮説などで有名な物理学者。数々の業績は説明不要ですね。晩年は原子爆弾開発をアメリカ大統領に進言したことに責任を感じ、平和運動に参加したことも知られています。前述のローゼンバーグ事件でも、争点となっている原爆機密と言われる書類が実は中味のないものであると主張、ローゼンバーグ夫妻の死刑回避を訴えていました。この年も核廃絶を訴えたラッセル・アインシュタイン宣言を発表。その後腹部動脈瘤破裂によって死亡。 ■"James Dean"「ジェームズ・ディーン、自動車事故で死亡」 「理由なき反抗」「エデンの東」などで活躍した俳優。こちらも説明不要ですね。いつの時代もアイコンであり続けられる人、という感じですね。彼の突然の死は世間に大きな衝撃を与えました。享年24歳。 ■"Brooklyn's got a winning team"「ブルックリン・ドジャーズ、ワールドシリーズ優勝」 ロサンゼルスに移転する前、ブルックリンに本拠地のあったドジャーズがこの年ワールドシリーズで優勝しました(たけぶ〜さんから、大リーグの試合のことだとの情報をいただきました。ありがとうございます。)。 ■"Davy Crockett"テレビ番組「デイビー・クロケット」大ヒット 18世紀生まれのアメリカの伝説的英雄・政治家。青年時代は開拓者として狩猟をして過ごしていましたが、アメリカ先住民との戦争に参加したことをきっかけに、政治的野心を持ち、議員になります。 さて、これがなぜ1955年に関係あるのか。実は、彼を題材にしたTVシリーズがこの年ヒットしたようです。 加えて、Kaori C.さんから、興味深い情報をいただきました。この人気TV番組で、デイビー・クロケットが被っていた「尻尾付き」毛皮帽(ビーバー皮だったか、アライグマ皮だったかは不明)が、特に小さな男の子の間で大流行したそうです。未だにアメリカ製テレビドラマに、「時代考証の小道具」として、しばしば登場しているほどだとのこと興味深い情報をありがとうございました。 その後、ふと映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の過去のシーン(まさに1955年)を観ていると、主人公のお母さんの実家で、子どもがこの毛皮帽をかぶっていました!まさに「時代考証の小道具」ですね。 ■"Peter Pan"「メアリー・マーティン、『ピーター・パン』でアカデミー主演女優賞を受賞」 1954年、『ピーター・パン』が、前年のアニメーション版が大変評判だったことでミュージカル化され、空を飛ぶシーンが当時ずいぶん話題になったそうです。これは今日本でも夏休みなどにやっているミュージカルの原型になることのこと。ちなみに振りつけは『ウエスト・サイド物語』のジェローム・ロビンスとだそうです。 そして、『ピーター・パン』で主演を演じたメアリー・マーティンがトニー賞の主演女優賞をとったのがこの年、1955年だったのです。この時彼女は41歳で、若い時からダンサーとしてハリウッドに売りこんでいたもののなかなか芽が出なかった彼女が初めて女優としての栄冠を得たという、まさにアメリカン・ドリームを象徴するような出来事だった、とのことです。そしてその後の彼女は舞台女優として、確固たる地位を築きあげていったとか。 管理人としては、「ピーター・パン」が映画化されたのは1953年なのに、なぜ1955年の出来事なのか・・・・と悩んでいたところでしたが、SADAHIKOさん(サイト:CINEVISION+1)からの情報で、アカデミー賞受賞の件を知ることができました。貴重な情報をありがとうございました。 ■"Elvis Presley"「プレスリー、RCAと契約」 この年の11月22日、RCAと契約を交わしたプレスリーは、翌56年デビュー時からヒットを飛ばし、「キング・オブ・ロックンロール」としてロックの歴史に大きな足跡を残していきます。 ■"Disney Land"「ディズニーランド開園」 おなじみディズニーランドがカリフォルニア州アナハイムにオープンします。 |
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